モニトゥール紙その8

 准将、北方軍参謀長から陸軍大臣へ。
 オンショットの司令部にて、1793年9月8日。
 市民大臣殿、一昨日と本日、共和国の兵が敵を打ち破ったことを伝えます。軍団を構成した縦隊がカッセルから、他の縦隊がそれぞれステンヴォルド、バイユール、ウォルムーから出立しました。全部隊は現時点までに目的を達成し、敵を打ち破り追い払いました。1万8000人と伴に我々は英軍の大多数に当たる1万5000人の敵に守られていたオンショットを奪いました。彼らは防御陣地に守られ、加えてこの地は戦闘には向かない土地でした。垣根、森、溝によって分断され、目の前4歩の場所すら見えない有様で、敵を叩くのではなく文字通り突き刺すことしかできませんでした。このような土地では待ち構えている方が有利であることは容易に想像できます。我々は本日、敵から3、4旒の軍機、5門の大砲、弾薬箱、装備を奪い、多くの兵を殺し、捕虜を奪い、その中にはハノーヴァーの将軍1人を含む何人かの重要人物がいました。戦闘は長く極めて激しいものであり、これまでと同様に銃剣によって決着がつきました。この手法はサン=キュロットが使えば絶対確実です。全兵士がよく働きました。我々の側にも負傷者がおり、少数の死者も出ました。負傷者の中には兵士から将軍まで含むあらゆる階級の者がいます。市民デルブレと市民ルヴァスールは兵士として、及び派遣議員としてのあらゆる任務を果たしました。ルヴァスールは乗馬を殺されました。デルベール[ママ]も同じ危険に身を晒しましたが、白馬に乗っていたにもかかわらず彼はより幸運でした。
 国民公会は兵士たちの精神をご存知でしょう。彼らは軍のサン=キュロットたちです。ジョルジュという名の擲弾兵(連隊の名前はいずれお知らせします)は片腕を砲弾に持っていかれながらも隊列に続き、雷鳴の如き声でカルマニョールを歌い、さらにしっかりとした口調で共和国万歳! と叫びました。彼は祖国のためにもう一方の腕も差し出そうとしたのです。負傷した士官や将軍たちも同じような振る舞いをしました。
 今後の準備をする時間が必要なので、他の詳細についてはお伝えしません。ただベルグの守備隊が素晴らしい出撃を行い、その一部が我々と合流しこの町が解放されたことは言わなければなりません。不幸なことにダンケルクの攻囲は解かれたようです。私が不幸にもと言ったのは、もしそうなっていなければ英国軍にとって高くついたからです。彼らはおそらく武器を置く[捕虜になる]ことを余儀なくされたか、あるいは切り刻まれるか海に追い込まれて死んでいたでしょう。
 ダンケルクの守備隊もまた素晴らしい出撃を行い、最良の場合英国の将軍がそこで殺されたと見られます。
 リール城下にあるマデレーヌの宿営地も同様に行動しました。陽動しか行わなかったにもかかわらず、彼らは敵の前哨線を追い払い、捕虜を得ました。
 何人かの敵部隊は退路を断たれており、おそらく我々は彼らを捕虜にできるでしょう。
 今日と同じような戦闘をいくつか行えば、共和国は暴君たちを相手に勝利することでしょう。
 挨拶と友愛を。
 バルテルミー。
Réimpression de l'ancien Moniteur, Tome Dix-Septième"http://books.google.com/books?id=NpsFAAAAQAAJ" p626
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