貞観・慶長

 日常回帰ということで触れていなかったが、それにしても今回の地震と津波が歴史的な災害であることは間違いないようだ。しばしば指摘されているのが、平安時代の貞観地震と似ているという話。いったい貞観地震とはどのようなものだったのだろうか。
 貞観地震と津波について書き残している文献記録は三大実録。近代デジタルライブラリーにも当然載っている"http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772180"(105/131参照)。貞観11年5月26日(西暦では869年の7月)に「陸奥国地大震動」し、波濤が押し寄せて「城下」に至ったそうだ。この「城」とは(異説もあるが)多賀城だといわれているらしい。
 上に紹介した本には津波が「去海数千百里」とあるが、京都大学の画像データ("http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/h007/image/08/h007s0449.html"及び"http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/h007/image/08/h007s0450.html")によれば「数十百里」というのが正しいらしい。この距離がどれほど正確かは別として、かなり凄まじい津波であったことを窺わせる記述だ。
 この貞観津波が実際にはどの程度のものだったかを産業技術総合研究所が2004年から5年計画で調査している。一番よくまとまっているのはこちら"http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/katsudo/aferc_news/no.16.pdf"だろう。仙台湾沿いから福島県沿岸までという、それまで津波災害で有名だった三陸よりも南方で行ったこの調査により、貞観津波の実態がある程度明らかになったようだ。
 各地で行ったボウリング調査によると、石巻では当時の海岸線から少なくとも3キロ、仙台平野では名取市などで少なくとも4キロ内陸まで津波が到達したことが判明したという。福島でも1.5キロほど遡ったことは確認されたそうで、今回の津波同様にかなり広範囲を巻き込んだ災害だったことが分かる。地震発生直後から報道などで貞観地震との類似性が指摘されていたが、その背景にはこうした調査があったのだろう。
 
 問題は、こうした大規模な津波が起きたのは過去1回だけではないこと。時間を置いて何度もこうした津波が襲来していたことが分かったらしい。上の報告ではボウリングで確認された地層堆積物から、西暦1500年ごろ、貞観津波、西暦430年ごろ、そして紀元前390年ごろに今回のと似た広範囲を襲った津波があったとしている。津波の再来期間は450~800年程度。そして、直近の津波が1500年ごろにあったのだとしたら、現在はそれから510年が経過しており、いつ次の津波が来てもおかしくないタイミングになっていたことが分かる。
 しかしこの「西暦1500年ごろ」の津波なるもの、実は史料に見当たらない。1500年といえば室町(戦国)時代だが、その時期に東北に津波が来たと記している文献は存在しないのだ。もしかしたらたまたまそうした文献が残らなかっただけかもしれないが、実は別の可能性も考えられる。ボウリングで分かった直近の津波襲来時期は正確には「1500年ごろ」ではなく西暦1320~1670年。ここまで範囲を広げると、歴史文献にも東北に間違いなく襲来したと判明している津波が登場してくる。江戸時代初期の慶長三陸津波(1611年)だ。
 この時の津波で大きな損害を受けたのは三陸地方だが、仙台平野にも高い津波が押し寄せたようだ"http://www.jishin.go.jp/main/chousa/09mar_sanriku/f16.htm"。こちらの資料"http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2006/08/06_08_03.pdf"によれば海岸線から1里(4キロ)の距離にある山の麓まで船が波で運ばれた(p37-38)との話もあるそうだ。残念ながら慶長津波を裏付ける堆積物のデータについては現在の海岸線から500メートルほど内陸までしか見つからなかったようだ(p41)が、それは近年の土地改良で最近数百年の地層が欠落しているのが理由。実際にはもっと内陸まで津波が来ていた可能性は否定しきれない。
 もし貞観津波の再来が慶長三陸津波だったとした場合、その慶長津波から現在までの時間は400年となる。上の史料て指摘している津波の再来期間(450~800年)よりはちょっと短い。黄信号からそろそろ赤信号に変わるタイミングだが、人によっては「まだ慌てるような時間じゃない」と判断する可能性もある微妙な時期だ。実際に津波が来てしまった今でこそ津波になぜ備えなかったのかとの意見も出てきているがが、たとえそれ以前から貞観津波に関する知識が広く一般に知られていたとしても実際の対応はそれほど進まなかったかもしれない。
 
 国土地理院がまとめた浸水エリア"http://www.gsi.go.jp/kikaku/kikaku60003.html"を見ても、今回の津波の凄まじさはよく分かる。数百年に一度の大災害なのは確かだろう、ではこういった数百年、あるいは千年に一度という災害に対し、人はどう備えるべきなんだろうか。
 地震が来たらとにかく高いところへ逃げる。海の傍には家を建てない。10メートルの防波堤で止められなかったのなら次は30メートルの防波堤を作る。どれも理屈は正しいんだが、実践しようとしたら、それも数百年から千年にわたって対策を継続しようとしたら、極めて困難な取り組みばかりだ。何より、実際に経験した人間はいずれ死に絶えてしまうことが大きい。未経験者ばかりになってなお災害の記憶を伝えようとしても実際には無理だろう。まして数百年も前の話になれば、誰にとっても他人事でしかなくなる。我々がつい先日まで貞観津波や慶長三陸津波のことなどほとんど知らなかったのと同様に。
 できることは、何があったかを少しでもいいから伝えること。幸いというべきか、現代では実際に津波が襲来する様子を映像にして残すことができる("http://itaishinja.com/archives/2503317.html"や"http://alfalfalfa.com/archives/2877306.html"など参照)。言葉だけでは充分に伝わらなくても、映像を見れば全く経験のない人間でも災害に関する精度の高い認識を得ることができるかもしれない。
 
 メモ代わりに追記。中央防災会議のサイトに「災害教訓の継承に関する専門調査会」のページ"http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/index.html"がある。明治三陸津波に関する報告の中に、それ以前の津波災害として貞観や慶長津波について触れている。
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