Marsz, marsz, Dabrowski,

 Lazare Claude Conqueugniotの"The Legion du Nord"の英訳本を読んでいる。1806年から08年にかけてポーランド人で構成する部隊の指揮に当たったフランス人少佐が残した回想録だ。もちろんこんなマニアックな本を英訳したのはNafzigerである。
 19世紀初頭、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアに分割されていた。プロイセン領ポーランドの住人はプロイセン軍に徴兵されており、1806年のイエナの戦いとその後の追撃でフランス軍が得たプロイセン軍捕虜の中にはそうしたポーランド人が大勢いた。ナポレオンはこのポーランド人を集めて部隊をつくり、07年のポーランド戦役に役立てようとした。
 Conqueugniotはこの部隊の編成及び指揮にかかわったフランス人だ。部隊の指揮官はポーランド人のザヨンチェクだったが、実際には大勢のフランス人が部隊運営にかかわっていた。フランス軍の将軍ピュトーとメナールなどもConqueugniotの上司として名前が出てくる(あまりいい評価はなされていないが)。
 しかし何より面白いのはポーランド人の将軍ドンブロフスキに関する評価だろう。Conqueugniotの部隊はドンブロフスキの部隊と伴にディルシャウという場所を攻撃したのだが、その際に彼は以下のようなことを指摘している。

「ここ[Conqueugniotの部隊]にいるポーランド人士官のほとんど全てはドンブロフスキと伴にイタリアで軍務についたことがあり、彼について悪く言っていた」
p23

「彼[ドンブロフスキ]は兵士というより盗賊と考えるべき存在だった。彼は、ディルシャウ奪取後に彼の兵士たちが町中に入り、略奪行為がエスカレートして女性が家から追われ裸でシャツも着ないまま通りを走る事態にまで至ったことを知らされた。彼の反応は『子供たちがちょっとばかり楽しむのはいいことだ』というものだった」
p23

「フランス軍がポーランドに入った後、ドンブロフスキは空の星座にいまだ置かれている楯の持ち主であるヤン・ソビエツキのまねをして、彼の国の大元帥の地位に彼自身を就けるよう策謀した。(中略)ドンブロフスキの名のみを有名にするためにポーランド語の曲が作られ、この将軍は彼の国の支配者になる権利を得たと考えた」
p24

 そして現在のポーランド国家は「ドンブロフスキのマズルカ」である。

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