CGMとか

 今回はかなり妄想を暴走させたので世露死苦。
 
 例のヴァーチャルアイドル"http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp"について久しぶりに。昨年に続いてオリコンアルバムの週刊1位を取った"http://vocalonexus.blog87.fc2.com/blog-entry-10.html"ようで、4年目に入ってもなお勢いが衰える様子はない。3月9日に行うコンサート"http://5pb.jp/mikupa/"のチケットは一瞬のうちに売り切れてしまい、映画館で同時中継をするほか5月に札幌で追加公演をすることも決まった。まさに向かうところ敵なしって感じ。
 このヴァーチャルアイドルを主に聞いているのが若者、特に10代の女子であることは前に紹介したし、その状況は国内外とも変わらないことも指摘した"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/50929574.html"。その際にはYouTubeの統計データを使っていかに若者に聞かれているかを調べたのだが、それを裏付ける別の情報も見つけた。Yahoo知恵袋のこちらの質問"http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1338921003"がそれだ。
 2010年4月時点で中高生に対し「ニコニコ御三家(ボカロ、アイマス、東方)」の中でどれが一番かと聞いた質問なのだが、17あった回答のうち「ボカロ」を最初にあげた回答が12ある。さらに他のものと並べてボカロをあげた回答も2つあり、ボカロ以外をトップに上げた回答はたったの3つ(東方2、アイマス1)だけだ。また特に女子の間でボカロが人気だという回答も目立つ。ボカロについては曲が給食の時などに流れるという回答もあり、学校で割と普通に聞いている様子もわかる。
 
 もう一つ面白いのがこちらのtogetter"http://togetter.com/li/100044"。Vocaloid曲を作っている人物が中高生に話を聞いて驚いたことのまとめである。彼/彼女が驚愕したのは3点。中高生の半分以上はニコニコ動画のアカウントを持っていない、コンピレーションアルバムを「Vocaloidの新アルバム」と捉えている、曲を作っている人がそういう職業だと思っている。特に驚いているのはニコ動を使っていなかった点のようだ。
 私のようにニコニコ動画のアカウントを持っていない人間からすればなぜニコ動経由でないことにそんなに驚くのか理解できないのだが、自分でVocaloidを使って曲を作るほどどっぷり浸っている人にとってはニコ動の存在が自明すぎたのだろう。そもそも少し考えれば分かることだが、海外でこれだけ人気になってきたのは即ちニコ動と無縁な聞き手が増えている証拠。国内でもここでまとめられている中高生の話のように、口コミからYouTube検索や、MP3のファイル交換、ゲーム(Project DIVA)、そして上でも述べた校内放送などを通じてVocaloid曲に触れる人がかなり増えてきたのだろう。もはや一つの動画サイトの枠に収まる現象ではなくなってきたと見られる。
 むしろ私が中高生の話で興味を覚えたのは2番目と3番目。つまりVocaloidをあたかも普通のアーティストのように捉えている点と、「ボカロPを職業だと思っている」点だ。こう考えている中高生にとって、おそらくVocaloid曲は他の商業ベースの音楽(ジャニーズとかAKB48とか)と同じ「生産者から与えられる商品」の枠組みに入っている。つまり、CGMとかProsumerといった新しい概念の実体化としてVocaloidを見ている人たちにとってはむしろ古臭く思える音楽観を、聞き手である中高生は抱いていることになる。
 Prosumerという言葉を生み出したトフラーを尊敬しているサイバーパンカー(今作った造語)からしてみれば目を覆いたくなるような惨状とも言えるし、「この中高生たちは情報弱者」という声が出てくるのも不思議ではない。でも、少し考えれば別に不思議でも何でもないことが分かるだろう。20年に満たない人生経験と、親の協力がなければネットへのアクセスすら困難な中高生たちの多くが、自ら音楽を創造(Produce/Generate)するよりも、単純に音楽を消費するだけの立場に回るのは、ごく当たり前のことだ。
 何が言いたいのかというと、たとえCGMやProsumerの世界においても、純粋なConsumer(消費者)が必ず存在するし、そうした混じりけのない消費者が多数存在しなければCGMやProsumerの世界は成り立たないってことだ。この中高生たちの声は、CGMやProsumerが現実にどうあるべきなのかをはからずも我々の前につきつけているのだと思う。我々は消費者だ。我々の望むものをおくれ。でも我々が生み出さないことに文句を言わないで。そもそもあなた方Prosumerが生み出しているものだって、我々消費者がいなければ誰にも知られることなく消えていくだけ。我々がいるからこそ、あなた方はCGMやらProsumerといった夢を追い求めていられることを忘れてはダメだよ。
 そう、結局のとこ需要がなければ供給する意味はない。もしVocaloidにかかわる全ての人間がProsumerだったら、つまり皆が消費者でありかつ製作者でもあったのだとしたら、今のVocaloidの隆盛はないだろう。内輪受けだけが繰り返されるいわゆる「駄サイクル」に突入し、一部のマニアが使うソフトウエアとして次第に消えていったことだろう。そうならなかったのは、曲もつくらないし演奏もしないし歌ってもみないし、絵を描いたり動画を作成したり3DモデルにかかわったりといったProsumer的活動も全くしない、しかしおそらく数は最も多い純粋な消費者がいたから。さらにその消費者はニコ動という枠を超えて広がり、それがVocaloid市場の一層の拡大をもたらした。そうやって市場が広がったからこそ供給側、つまりProsumerたちの活躍の場も広がったのだ。
 
 ProsumerとかCGMという概念は非常に興味深いものだが、実際の市場においては供給側と消費側ははっきりと区別されることが多い。そもそも生産と消費の一体化というのは要するに自給自足のことであり、分業によって経済的成長を遂げてきた人類の歴史からすればむしろ非効率への退化でしかない。現実に起きているのはProsumerとかCGMという現象ではなく、需要と供給をより効率よく結びつけるシステムの成立なのだろう。今までは芸能プロだのレコード会社といった仲介業者が消費者(リスナー)と生産者(アーティスト)をつないでいた。しかしVocaloidというツールが登場し、動画サイトという媒体が与えられたことで、よりダイレクトに消費者と生産者をつなぐことが可能になった。
 ネット上で「これからは作曲者が自らをどうプロデュースするかが問われる」と指摘する人がいるが、それもこうした問題意識が背景にあるのかもしれない。もはや古い仲介業者はその機能を十分に果たせない。生産者は消費者と直結しており、彼らに正面から向かい合わざるを得ない。自分をどう売り込んでいくか、自分で考えて実行していかなければならないのだ。上のtogetterで紹介されていた中高生たちは、まさに生産者に向かってそれを直接求めている。自分はProsumer、つまり消費者兼生産者だと言い訳をしても純粋な消費者の耳には届かず、「本当ですか!?どのCDに入ってますか?」という質問をぶつけられる。生産者と消費者のおいしいとこ取りは許されない。
 ただ、消費者さえいれば市場が成立する訳でもないだろう。前から指摘している通り、消費者を満足させる供給者が存在しなければ、市場があることに誰も気づかずに終わる可能性だってある。国内ではもはや市場が確立しているのでその問題はないが、海外はまだこれから。潜在的なConsumerたちは(国内の中高生同様に)存在していることは分かっている。後はいかに供給を増やすか。需要を徹底的に掘り起こすためにはやはり現地語の質のいいVocaloid曲ができるだけ沢山生まれることが必要だ。おそらくCGMとかProsumerという概念が本当に意味を持つのはここのところである。日本語のVocaloid曲を聞いて関心を抱いた消費者たちの中から、自力で(母国語の)Vocaloid曲を作ろうとするProsumerがどのくらい生まれるか。今後の動向がとても楽しみだ。
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