火器史

 しばらく前に大砲の歴史について少し調べてみたことがあった"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/46229798.html"。この時は起源がよく分からないという結果になったものの、これは問題の立て方が悪かったのかもしれない。そもそも大砲と銃はサイズが違うだけで原理は同じ。いずれも火薬の爆発による圧力を利用して弾を遠方へ飛ばす仕組みだ。調べるなら火器の起源を調べるべきだったのかもしれない。
 英語wikipediaで見てみる"http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_firearm"と、firearmの直接の先祖として火槍"http://en.wikipedia.org/wiki/Fire-lance"の名前が出てくる。節を抜いた竹などの中に火薬をつめ、それに火をつけて敵に向けて炸裂させるものらしい。中国語のwikipediaによると1044年に書かれた武経総要"http://zh.wikisource.org/zh/%E6%AD%A6%E7%B6%93%E7%B8%BD%E8%A6%81"の巻十二に記載があるそうなのだが、どうも図の説明らしく詳細は不明。
 実際には敦煌で発見されたもっと古い10世紀の絵画の中に、火槍らしきものを抱えた魔物の姿を描いたものがある("http://en.wikipedia.org/wiki/File:FireLanceAndGrenade10thCenturyDunhuang.jpg"右上、"http://books.google.com/books?id=BZxSnd2Xyb0C" p225も参照)。つまり北宋初期、もしかしたらそれ以前の五大十国の頃には既に火槍は登場していたのかもしれない。いずれにせよ13世紀になって火薬や大砲の話が出てくるイスラム圏や欧州よりはずっと古いのは確かだ。
 問題は、単に火花を飛ばすだけだった火槍が、いつから弾を飛ばすようになったのかだ。前に紹介した韓世忠将軍の話が当てにならないことは指摘済み。同じ1132年に陳規が徳安を守った際に「長竹竿火槍二十餘條」を使った話もある"http://zh.wikisource.org/zh/%E5%AE%88%E5%9F%8E%E9%8C%84/%E5%8D%B74"んだが、こちらはあくまで見ての通り「火槍」であって火器かどうかは分からない。なお、中国ではこの時に火槍が発明されたとの見解もあるようだ"http://www.geocities.jp/fukura1234/rekisi/heiki.htm"。
 中国の科学技術史研究で名高いニーダムによれば、火器の存在を示す文献以外の最も古い証拠は四川省で見つかった像のようだ("http://books.google.com/books?id=BZxSnd2Xyb0C" p581)。右下にある琵琶のようなものを抱えた像だが、実はこれはハンドガンと銃口から飛び出した弾丸を描いているものだという。この像が作られた時期については12世紀とか、中には10~11世紀という見積もりもあるようだが、ニーダム自身は1250年から1280年の間と推測している。
 1288年には元軍が火器を使ったという文献記録があるそうだ。元史李庭伝に「乃引壯士十人、持火砲、夜入其陣、砲發、果自相殺、潰散」"http://zh.wikisource.org/zh/%E5%85%83%E5%8F%B2/%E5%8D%B7162"という文章があり、これもハンドガンだろうと見られている。何よりこの戦場では後に実際に当時使われたと見られる長さ1フィートほどのハンドガンが発掘されている("http://en.wikipedia.org/wiki/File:Yuan_chinese_gun.jpg"、"http://books.google.com/books?id=BZxSnd2Xyb0C" p293-294も参照)。
 ただし、これらの記録がある13世紀半ばといえば既にセヴィリアでイスラム教徒が大砲を使っていたとも伝えられている時期である。それより古い、例えば12世紀の火器の存在についてはどうも具体的な証拠が見当たらないようだ。だからこそ大砲が発明された地域について議論が生じるのだろう。
 とはいえ、欧州では13世紀になってロジャー・ベーコンが火薬の作り方について記しているのが最初であるように、中国以外の地域ではそもそも火薬に関する歴史がそれほど古くない。一方、中国では9世紀には既に火薬が発明されており、上にも記した通り10世紀には火器の先祖と見られる火槍が登場している。そして、火槍に小石などを詰めればそれで火器はとりあえず完成するのだ。その程度の思いつきなら古い時期から存在していたとしても不思議はない。
 
 問題は、なぜ火薬も、そしておそらくは火器も最初に発明した中国が、その後他の地域(特に欧州)の後塵を拝することになったのかだ。まず、中国で発明された火薬は硝石の比率が低く、破壊力に乏しかった。一方、こちら"http://www.history-science-technology.com/Articles/articles%2072.htm"によればイスラム圏で13世紀に書かれた本では硝石の比率を火薬としてふさわしい75%にまで高めた火薬製造法が記されているそうだ。技術発展が中国以外でも起きていた可能性を示す事例である。
 中国で火器が発展せず、逆に欧州でその技術が発達して中国を追い抜いた理由について書かれているのがこちらの本"http://books.google.com/books?id=esnWJkYRCJ4C"。こちらのレビュー"http://www.deremilitari.org/REVIEWS/Chase_Firearms.htm"によれば、中国で火薬が発展しなかったのは、彼らの最大の敵が騎馬民族だったから、と著者は見ているんだそうだ。軽騎兵が相手だと、初期の威力も確実性も乏しい火器はあまり役に立たなかった。確かに移動力のある相手に、火槍に毛の生えたような火器ではいささか心もとなかったのは確かだろう。
 一方、欧州にとって騎馬民族はほとんど直接的な脅威とならなかった。むしろ相互の戦闘で相手になるのは歩兵が中心。そうなると火器にも一定の効果は期待できる。だからこそ火器が欧州で発達した、という理屈になるらしい。
 どこまで事実かは不明だし、火薬帝国は欧州以外にも存在していたのだが、それでも16世紀ごろから欧州がその軍事力を使って世界各地の植民地化を始めたのは事実。もちろん最初の頃は技術力で圧倒的に劣っていた新大陸やオーストラリアなどへの侵攻が中心で、オスマンやムガール、中国などの各火薬帝国を侵食するのに時間がかかったことは確かだが、欧州が火器技術で本家本元の中国を抜いたことは否定できない。
 火薬の発明とその利用は戦争の有様を大きく変えた。しかし、その変化にはかなりの時間を要したことも事実のようだ。技術は必ずしも一直線に特定の目的地へ向かって進むものではない。近代的な科学技術の恩恵にどっぷりと浸っている我々には分かりにくいが、進歩はいつでも歓迎されるとは限らないようだ。
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コメント

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SLEEP
中国や中東というのはフンやモンゴルに破壊された地域ですからね。中華四千年と言ったってマヤやインカと今の中南米諸国に連続性がないのと同じです。宋や唐の詩や書、仏教は日本人から見ても魅力がありましたがそれ以降は見向きもしませんよね。

中世で考えると西ヨーロッパは生産力の面で圧倒的だったんでしょう。というかアフリカや北米に人は住んでたんでしょうか?正直ほぼ無人地帯に等しかったのではないかと思います。大航海時代と言っても生きるか死ぬかの大博打でとても現地人とドンパチやらかす余裕はないですよね。

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desaixjp
近代以前のGDPを推計した人がいるらしいんですが、それによると世界全体のGDPの過半を中国、インドが占めていたんだそうです。北宋時代には世界最初の産業革命が始まりかけていたという説もあります。モンゴル帝国のころまではユーラシアの東部こそが世界の中心だったのかもしれません。
米大陸についても欧州人が来るまでは人口密度は結構高かったという話があります。欧州人が持ち込んだ疫病によって人口が急激に落ち込み、その結果としてミシシッピ河流域などは無人地帯になったとか。ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」とかマクニールの「疫病の世界史」あたりが参考になります。

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SLEEP
疫病は都市部に人口集中がないとさほど影響ないと思います。またヨーロッパにも日本にも疫病はありましたがそのつど復興していますよね。それよりも今の中部アフリカと同じでリカードの罠に嵌っていたんではないでしょうか。マヤやインカの滅亡も謎とされてきましたが、最新の研究だと安定した気候によって人口増加が進んだ後の数年間の不作が致命傷になりうるということらしいです。

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desaixjp
まず、マクニールの書籍名は「疫病と世界史」でした。訂正しておきます。
疫病が新大陸に与えた影響についてはマクニール自身の言葉を。「ヨーロッパとアフリカの住民が四千年もの長い文明の歴史を通じて少しずつ遭遇を重ねてきた多種多様の感染症にいきなり曝されたとき、アメリカ大陸のインディオは大変な人口上の惨禍に見舞われた」(下、p81)
「[スペイン人による]征服直前の原住民の総人口は約一億(中略)うち二千五百万から三千万がメキシコの文明中心地の人口(中略)[コルテスが来てから]五十年もたたない一五六八年に、メキシコ中央部の人口は三百万にやせ細っていた。コルテスが上陸したときのほぼ十分の一である」(p87)
「一九〇三年に南アメリカのインディオ部族、カヤポ族が宣教師を受け入れた(中略)彼が到着したとき、部族民の数は六千人から八千人の間だった。だが一九一八年には五百人しか生存していなかった」(p88)

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desaixjp
「一九四二年から翌四三年にかけて、アラスカ高速道路の開通に伴い、遠く離れた或る共同体が一年間に、はしか、風疹、赤痢、百日咳、おたふく風邪、扁桃腺炎、脳脊髄膜炎、カタル性黄疸に次々と侵されることになった」(p89)
欧州や日本のような旧大陸の地域が疫病の影響から回復し得たのは、4000年をかけて病原体と一緒の生活に適応してきたおかげです。一方、新大陸の住民たちは旧大陸で猖獗を極めた病原体と接触したことがなく、免疫を持っていませんでした。ピサロやコルテスが少数の戦力で大帝国に勝利できたのは疫病が背景にあった、というのがマクニールの考えです。
インカの滅亡は事実上最後の皇帝とされるアタワルパがピサロ一行によって処刑されたことからもスペイン人が原因と考えて問題ないでしょう"http://en.wikipedia.org/wiki/Atahualpa"。古典期マヤの崩壊はご指摘の通り欧州人とは無関係ですが、メソアメリカではアステカ帝国がコルテスによって滅亡させられています"http://en.wikipedia.org/wiki/Aztec"

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desaixjp
なお、アフリカが過去にリカードの罠に嵌っていたかどうかは判断できませんが、現状ではサハラ以南のアフリカは高い成長率を記録しています。IMFによれば今後も5%超で推移する見通しで"http://www.imf.org/external/japanese/pubs/ft/weo/2011/update/01/pdf/0111j.pdf"、国によっては経済成長への離陸が始まりつつあるようです。
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