Napoleon Series"http://www.napoleon-series.org/"で面白い議論がなされていたので紹介しよう。1806年のイエナ戦役に関する話だ。
10月13日夜にナポレオンの司令部からダヴー宛てに出された命令文は、ベルナドットのその後の行動を評価するうえで重要な史料である。詳細はこちら"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/dornburg.html"に書いているが、その命令文について色々と面白いことが指摘されている。
まず、Foucartによるとこの命令文はダヴー第3軍団側の記録には残されているが、帝国司令部側の記録には残っていないということになる。ベルティエが発した命令に関する一覧表だか目録だかの中に見あたらないのだそうだ。そして第3軍団側の記録によると、その文章(ベルティエが記した追記の部分)は原文で以下のようになる。
"Si le marechal Bernadotte se trouve avec vous, vous POURREZ marcher ensemble, mais l'empereur espere qu'il sera dans la position qu'il lui a indiquee; a Dornburg."
ここで問題になるのが大文字で記した"POURREZ"だ。Napoleon Seriesの掲示板で上の投稿があった後で、別の人物(フランス語のナポレオン関連サイトHistoire du Consulat et du Premier Empire"http://www.histoire-empire.org/"の主催者)が以下のような指摘をしたのだ。
「第3軍団の記録では"vous POURREZ marcher ensemble"となっているが、オリジナルの命令文は実は"vous POURRIEZ marcher ..."である」
投稿者によると、このオリジナルの命令文なるものはGirod de l'Ainが陸軍省のアーカイブから見つけ出したものだそうだ。Foucartが残っていないと指摘していたものだが、どうやら書類の山に埋もれていたらしい。そして、pourrezとpourriezでは意味が違ってくる、のだそうだ。
pourrezもpourriezもフランス語のpouvoirの活用形。といってもここいらへんの文法の話は正直私にはさっぱり分からない。pouvoirは英語でcanやmayにあたる言葉らしいが、活用によってどのようなニュアンスの違いが生じるのかを判別するのは私の知識では無理だ。
上の投稿者の説明を信じるのなら、vous pourrezなら「ベルナドットが何をしなければならないかについて疑問はない。彼は必ず[MUST]行かなければならない(英語ではyou "shall" march on ...となる)」。それに対しvous pourriezなら「ベルティエから明確な命令がない限り、選択はベルナドット自身に任されている(英語ではyou "could" march on ...)」ということになる。つまり、オリジナルの命令文ではダヴーと同行するか否かはベルナドットの判断に任されていたのに対し、第3軍団に残された記録はそれが「同行すべき」になっている、というのだ。
この説明にはいくつか問題点がある。まず、命令文で記されているvousはベルナドットではなくダヴーのこと。つまりvous pourrezならベルナドットではなく「ダヴーは必ずベルナドットと同行しなければならない」、vous pourriezなら「ダヴーはベルナドットと同行することも可能」と解釈するのが普通だろう。それともフランス語はそのように読むべきものではないのだろうか。これまた私には判断がつきかねるところだが。
もう一つは各種オンライン翻訳ソフトで英訳してみた時の違いだ。以下に一覧を示す。
google language
vous pourrez marcher → you will be able to walk
vous pourriez marcher → you could walk
alta vista
同上
world lingo
同上
reverso
vous pourrez marcher → you can walk
vous pourriez marcher → you could walk
いずれもpourrezとpourriezの差を単に未来形(あるいは現在形)と過去形の違いとしか認識していない。そのせいか、上の命令文について英語で紹介している本(その大半は第3軍団の記録を元にしていると見られる)では単純に"you can march"としているものが多い。過去に1806年戦役について記した英語圏の著者たちが、命令文の内容を「ベルナドットはダヴーと同行しなければならない」と解釈していた様子は見あたらないのだ。
だが、一方で上の指摘をした投稿者はフランス語のサイトを主催している人物であり、おそらくフランス語には堪能と見ていいだろう。明らかに英語を母国語としている研究者たちと比べればフランス語に関する判断は正確、なのかもしれない。そして、この投稿者の指摘が正しいのなら、第3軍団に残された記録はベルナドットに対して不利になるような改竄がなされていた可能性が出てくる(もちろん単なる表記ミスの可能性もある)。いずれにせよ、なかなか興味深い話ではある。
Napoleon Seriesの掲示板ではさらに会戦前日の13日にベルナドットからベルティエに出した書簡も紹介されていた。一つは午後6時に書かれたもので、ダヴー経由で伝わった命令に従いミュラとともにカムブルクからドルンブルクへ行軍するという内容だ。彼は30分以内に出発し、真夜中前にカムブルク、翌日夜明け前にはドルンブルクへ到着し「ヴァイマールでもどこへでも」移動すると述べている。Foucartによればベルティエがこの時にダヴー経由で出した命令なるものも帝国司令部の記録には残っていないようだが、ベルナドットがこの時点では14日朝までにドルンブルクへ向かうつもりだったことが分かる。
しかしそのわずか2時間後、ベルナドットは別の手紙をベルティエに送る。ベルティエが午後3時にダヴー宛てに出した命令で、今日中にイエナでランヌが攻撃を受けた場合は敵左翼に対して行動するよう命じるが、受けなかった場合は後で皇帝から翌日の配置に関する命令が来るだろうと述べていたのが理由だ。ダヴーからこの命令の存在を知ったベルナドットは、ランヌへの攻撃がなくダヴーの敵左翼に対する行動もキャンセルとなった以上、自らのドルンブルクへの移動も取りやめて新しい命令を待つべきだと判断し、その旨を午後8時の手紙でベルティエに伝えたのだ。「私は引き続き我が軍団と伴にナウムブルク周辺にいます」とベルナドットは記している。
だが、どうやら帝国司令部はこの手紙の内容を把握していなかったようだ。上で紹介したGirod de l'Ainがアーカイブの中から見つけ出したオリジナル命令書の冒頭には「ベルナドット元帥はドルンブルク行きの命令を受け取った。彼が既にそこにいることは最も重要である」と記されている。冒頭にこうした文章がかかれた命令書を見せられたベルナドットが、ダヴーと同行せずドルンブルクを目指したのは不思議ではない。同時に、これだけ長い時間にわたってベルナドットに直接命令を送らず、いつもダヴーやミュラ経由で命令を出していた帝国司令部の参謀業務の不手際(それでもプロイセン側よりははるかにマシだが)もよく分かる話だ。
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