剣は抜かれたのか

 承前。フーシェとクーデターとの関連についての話が長くなったが、他にも今月号のナポレオン漫画についていくつか書いておこう。まずフーシェとボナパルトの対面シーン。ツヴァイクの本ではレアルが果たしていた役割を漫画ではタレイランが演じていたが、それ以外は大体あの小説と同じ。問題はこの小説の元ネタになったのが何かさっぱり分からないことだ。
 フーシェの回想録(Mémoires de Joseph Fouché"http://books.google.com/books?id=sulBAAAAcAAJ")、ナポレオンのセント=ヘレナでの話(Mémoires pour Servir à l'Histoire de France sous Napoléon, Tome Premier"http://books.google.com/books?id=A7YPAAAAQAAJ")、どちらを見てもこうしたシーンは全然描かれていない。フーシェによるパリ情勢に関する説明が分かり易かったというナポレオンのセント=ヘレナでの回想とやらも発見できず。せいぜい見つかるのは、前回紹介したタレイランの回想録にある話くらいだ。どうもこの手の政治ネタというかこぼれ話的挿話は探すのが苦手だ。軍事関連ならともかく、それ以外はどうも土地勘に乏しいことが改めて実感された。
 
 元ネタが分からないといえばフーシェが主催したと言われるディナーの話もしかり。これまたフーシェもナポレオンもその回想録に何も記していない。漫画ではディナーにバラスが参加していたが、ツヴァイクによれば呼ばれていたのはゴイエ。しかしゴイエの回想録(Mémoires de Louis-Jérome Gohier"http://books.google.com/books?id=f8nUAAAAMAAJ")を読んでもそれらしい話はどこにも見当たらない。
 代わりに出てくるのは、フーシェではなくリュシアンが事実上主催したディナーだ。旧サン=シュルピス教会で開かれたこの大掛かりなディナーは、手馴れた陰謀家であるフーシェやタレイランからはやらずもがなのイベントだと思われたようだ。
 
「将軍のために行われ、まるで葬式のような空気に包まれたサン=シュルピスの宴会について、私は何も語りたくない。後にボナパルトが言ったように、それは行われない方がよかった。羨望に駆られた彼の兄弟たちが、彼をこの失敗に引きずり込んだ。なぜなら彼はそこで不信と僅かな礼節しか示さなかったからだ。彼は食事を食べず、誰よりも先にそこを立ち去った。ふさわしくない行動だった」
Extraits des mémoires du prince de Talleyrand-Périgord, II"http://books.google.com/books?id=ReUaAAAAMAAJ" p361-362
 
「陰謀をより効率よく隠蔽するべく、政府の首脳陣と両陣営の代議士を招いたボナパルトのための素晴らしい宴会が開かれるべきだということで合意がなされた。宴会は行われたが、華やぎや熱狂に全く欠けたものとなった。陰鬱な沈黙と抑圧された空気に満ち、各陣営は互いを見守った。自ら果たすべき役割に当惑したボナパルトは、招待客を不名誉の犠牲に取り残したまま早い時間に退いた」
Mémoires de Joseph Fouché, p120-121
 
 彼ら陰謀の大家から見ればリュシアンのやり口は子供だましに見えたのかもしれない。リュシアン自身はこの宴会について「極めて重要な情勢下にあったため、この宴会は国家的な関心事となった。相互にそれを極めて真剣なものと見なし、結果として招待客の間では陽気さよりも懸念が目立ってしまった」(Révolution de Brumaire"http://books.google.com/books?id=jI8PAAAAQAAJ" p59)と言い訳している。フーシェやタレイランに比べるとリュシアンの方が役者としては格落ちだったということだろう。
 
 リュシアンの役者ぶりに関連して、漫画にも出てきた「もし兄が独裁を行うようなら、私が兄を殺す!」という有名なシーンについても疑問が浮上してきた。この話は極めて有名であり、あちこちで取り上げられている。例えばブーリエンヌは以下のように書いている。
 
「鞘から剣を抜いたリュシアンは叫んだ。『もし兄がフランス人の自由を傷つけるような考えを心に抱いたことがあるなら、兄の胸を突き刺すことを誓う!』このドラマチックな試みは完全な成功を収めた」
Mémoires de M. de Bourrienne, Tome Troisième."http://books.google.com/books?id=mHcKAQAAIAAJ" p97
 
 私が見つけた中では少なくとも1812年出版の本までこの挿話を遡ることができる。L'Universという辞書"http://books.google.com/books?id=4DwsAAAAIAAJ"には「兵たちがなお躊躇っているのを見た彼[リュシアン]は兄の方に向き直り、剣を手に持ち、もし彼が共和主義者の希望を欺き、フランス人の自由を殺そうとするなら、この剣を彼の胸に突き刺すと誓った」(p436)と書かれており、別にブーリエンヌが淵源というわけではない。問題は、リュシアン本人がこの大見得を切る場面について全く触れていないことにある。
 まず1818年出版のMémoires secrets sur la vie privée, politique et littéraire de Lucien"http://books.google.com/books?id=Cx42AAAAMAAJ"。同書にはリュシアンが五百人議会の反対派について「この盗賊たちはもはや人民(peuple)の代表ではなく、短刀(poignard)の代表だ。共和国万歳!」(p95)と叫んで兵士たちを煽るのに成功した話が載っているが、そこには剣を抜いて誓いを立てる場面はない。そこまでする必要もなく兵士たちは熱狂し、ミュラらに率いられて議場に突入している。
 1845年出版のRévolution de Brumaireも基本は同じ。演説の詳細は違っているものの、結局剣を抜くことなく兵士たちが彼の命令に従ったことが分かる(p100-101)。ちなみにナポレオン自身のセント=ヘレナでの回想でも、リュシアンの兵を投入せよとの要請に「『議長殿のおっしゃる通りに』と[ボナパルト]将軍は返答した」(Mémoires pour Servir à l'Histoire de France sous Napoléon, Tome Premier, p93)ことになっており、やはり剣を抜いて見得を切る場面は描かれていない。ただ、ボナパルトが「一滴の血も流れないことが私の希望だ」(p93)と漫画にもあるような台詞を述べるシーンはある。
 当事者であるボナパルト兄弟が認めていない演劇じみたシーンが一般に流布しているという点で、ブリュメールはロディ"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/lodi.html"と似ている。本人たちが認めるか否かに関係なく、面白い話が一般に受け入れられたことが分かる。
 
 最後は地味に引退したバラスについて。漫画の中では予め用意された辞表にサインだけしている。この話はフーシェあたりが元ネタかもしれない。彼によればバラスの下を訪れたのはブリュイ(Bruix)とタレイランであり、「タレイランが持っていた既に書き上げられた手紙」(Mémoires de Joseph Fouché, p130)にバラスが署名したことになっている。ところが、実際にその場にいたタレイランは全然別の話を紹介している。
 
「バラスは沈黙し、考え込み、何歩か歩き回り、ピストルに触れ、机の上にあったサーベルを持ち、そして突然、文章を書き始め、以下の元老院議長宛の手紙をしたためた」
Extraits des mémoires du prince de Talleyrand-Périgord, II, p369
 
 バラス自身も「私の辞表は事実上提出されているも同然であり、役目は終わったのだと私は認めた。そこで以下の手紙を書くことを決意した」(Mémoires de Barras, IV"http://www.archive.org/details/mmoiresdebarras06durugoog" p80)と記している。ここでもまた当事者の発言より面白おかしい話の方が世の中に受け入れられている。紹介した一連の話を含め、ブリュメールのクーデターはもしかしたら「伝説の宝庫」(史実と異なる話が巷間に流布しているという意味で)なのかもしれない。
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