Nature論文 本番

 さて、体調は今一つなんだが、例のNature論文"http://www.nature.com/news/2010/101013/full/news.2010.537.html"について。長谷川寿一先生といえば行動生態学では名の知らせた人ではあるが、Natureのカバー論文に選ばれるとはお見事。何人もの共著者と一緒なので具体的にどんな役割を果たしたのかは知らないが、Natureに載るってことはそれだけ論文が興味深いと思われたんだろう。
 論文の内容はNature日本語サイト"http://www.natureasia.com/japan/nature/"が一番端的に表している。つまり「言語の進化系統樹を使ってオーストロネシア社会における政治の複雑性の変化をたどる」ことをした結果、得られた知見は「複雑性の拡大が逐次的に起こる傾向があるのに対し、衰退には急激なものがありうることを示唆している」。論文自体には目を通していないので細部は分からないが、大枠としてはこのようなことを指摘しているのだろう。
 結論そのものはおそらく珍しいものではなく、人類学でも普通に想定されている仮説だろう。この論文のキモは結論ではなくその手段、つまり「進化系統樹」を使って「変化」を探ったところにある。BayesTraitsなるソフト"http://www.evolution.rdg.ac.uk/BayesTraits.html"が使われた("http://blog.livedoor.jp/countershading/archives/65512495.html"参照)ようなので、ベイズ法による分析("http://www2.tba.t-com.ne.jp/nakada/takashi/bayes/idea.html"参照)だと推測される。
 通常、人類学といえばフィールドワークを行い、人々に話を聞いて観察し、さらには考古学などを手がかりに過去を知ろうとする。それに対し、この論文は既にあるいくつもの社会のデータをまとめてスタティスティカルに分析したのが特徴。この手法は、生物進化について調べる際には広く使われるやり方だ。
 進化の歴史を知るための手段として、昔は化石などを使う手法がメーンだった。だが最近になって分子生物学が発達すると、今ある生物の分子データを分析した上で過去の歴史を再構築しようとする取り組みが進んだ。そうした取り組みが大きな成果を挙げたのが「ミトコンドリア・イヴ仮説」だろう。
 かつて古生物学が化石中心に研究していた時には、人類の歴史として「多地域進化」仮説が唱えられていた。アジア地域にいたエレクトゥス、欧州中心のネアンデルタレンシスがそれぞれ進化し、現在の人類へとつながったという仮説だ。しかし、現生人類のミトコンドリアDNAを使った分析の結果、現在の全人類の共通先祖(ミトコンドリア・イヴ)はエレクトゥスやネアンデルタレンシスが生きていた時期より後になって登場したものであることが判明したのだ。つまり現生人類はエレクトゥスやネアンデルタレンシスとは別に進化した存在だったことになる。
 このミトコンドリア・イヴ仮説が登場した時には多くの議論を呼び起こしたようだ。だが今ではホモ・サピエンスがホモ・エレクトゥスやホモ・ネアンデルタレンシスとは別の存在であることがほぼ定説となっている。ネアンデルタレンシスやエレクトゥスが欧州やアジアに広まった後になって、アフリカでホモ・サピエンスが進化した。後にホモ・サピエンスがアフリカを出て全世界に広まると、ネアンデルタレンシスは滅亡した。今ではせいぜいネアンデルタレンシスとの間に混血があったかどうかが話題になる程度だ。
 今回の論文も同じ。人類学の世界では進化系統樹を使った定量的な分析という手法自体が珍しいものであり、研究者にとってもあまり馴染みはないだろう。だからこそNature誌もカバー論文に選んだのだろう。ただ、結論が今までの説とそれほど違うわけではなさそうなので、ミトコンドリア・イヴ仮説ほどのインパクトはないだろう。ただ、今後は人類学の分野でもこうした手法を使った分析に取り組む人が増えるきっかけになるかもしれない。
 
 問題なのは、この論文がNature誌に載ることを知らせた東大のプレスリリース"http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_221014_j.html"だ。特にどうかと思うのがその見出し「人類の政治体制の長期的な変遷には循環的なパターンがある」。さて、果たしてこの見出しは論文の中身を、どこが面白いのかをきちんと説明しているのだろうか。
 どうしても引っかかるのが「政治体制」という言葉。普通の人は政治体制の文字を見れば民主政とか寡頭政、王政などといった分類を思い浮かべるだろう。だがこの論文で取り上げている「政治体制」は、実は「小規模血縁集団、部族社会、首長社会、国家」の4種類だ。はっきり言って政治体制というより社会体制といった方がぴったりくるテーマである。
 Natureの英文サイトでも見出しは「社会は漸進的に進化する」Societies evolve in stepsとなっているし、政治politicalという言葉は複雑性complexityとの組み合わせくらいしか見られない。論文著者であるTom Currieも「社会がどう変化したか」という表現を使っている。Nature日本語サイトはもっとはっきり「複雑な社会の発達と衰退」という表現を使い、論文のテーマを簡潔にまとめている。やはり「社会体制」の方が日本語としてはふさわしいように思える。
 東大プレスリリースにある「循環的」という表現も問題。実際にはNature日本語サイトが書いているように「複雑性の拡大が逐次的に起こる傾向があるのに対し、衰退には急激なものがありうる」というのが論文の主題であり、循環的か否かという切り口での話はしていない。これについては東大プレスリリースにリンクがあるpdfファイル"http://www.u-tokyo.ac.jp/public/pdf/221014.pdf"の「循環的なパターンあるいはプロセスであったのか、あるいは飛躍的、もしくは一方的なパターンだったのか」という、これまでの議論について説明した部分に、プレスリリースの見出しが引きずられてしまったのだと思われる。
 pdfファイルをきちんと読めば見出しに「循環的」という表現を使うのは避けられただろう。実際にpdfファイルを見ると、図2にあるモデルのうちUNI(漸進的に複雑性が増し、同じく漸進的に複雑性が減る)が最も適合性が高く、次にRU(漸進的に複雑性が増すが、減る場合は漸進的あるいは飛躍的なケースがある)が僅差で続く結果になったことが分かる(論文自体を読んでいないので断言はできないが)。循環性が問題ではなく、複雑性の拡大と衰退にはそれぞれに特徴があるというのが論文の眼目なのだ。
 以前、「脊椎動物の祖先はホヤではなくナメクジウオ」という変な報道がなされたときに、その理由について調べたエントリーをアップしたことがある"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/42944827.html"。その際には報道側に問題があると同時にプレスリリースにもおかしな点があると指摘した。今回のNature論文はほぼ完璧に日本国内の報道陣に無視されているようなので変な誤解は広まらずにすんでいるようだが、一方でプレスリリースの問題点は解消されていない。論文の面白さが結論より手法にあるという点で説明しにくいのは確かだが、それにしてももう少し正確な表現はできなかったのだろうか。
 あと、報道に問題があるのは日本だけでないことも判明。Irish Timesでは「政治体制は生物種と同じように進化する」"http://www.irishtimes.com/newspaper/sciencetoday/2010/1014/1224281057593.html"という、これまた変な切り口で論文を紹介。進化について調べるのと同じ手法を使ったというだけで、生物種と同じように進化するなんてことは言っていないと思うが。でもまだ「政治体制が飛躍的に衰退しうる」と書いているだけましか。さらにWired Science"http://www.wired.com/wiredscience/2010/10/evolution-of-culture/"のように本当にまともな報道も存在することを指摘しておくべきだろう。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック