出エジプト2

 承前。ナポレオン漫画最新号。
 
 ウジェーヌが見たのと同じ2隻のフリゲート艦を見て不思議に思っていた人物の中にはルスタム・レザもいた。彼はこの船はどこの国のものかとウジェーヌに質問している。ウジェーヌは既にボナパルトから話を聞かされていたようだが、秘密を守るためこの質問に「あれはトルコ軍の船だ」(Souvenirs de Roustam"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k54264475" p71)と回答したそうだ。その後、ボナパルトの通訳であるジョベールからルスタムは事実を知らされる。ジョベールは彼に「我々のパトロンはパリへ向かう。そこはいい国で、大きな都市だ。ここで見た2隻のフリゲート艦は我々をフランスに連れて行ってくれる」(p72)と話したそうだ。
 彼が船の上でボナパルトと話しているシーンも、ルスタムの回想録にある通りだ。
 
「将軍は私に言った。『ここにいたかルスタム! どんな調子だ?』『大変よろしいですが、将来のことがとても心配です』。彼は『なぜだ?』と言った。私は彼に『フランスに到着したら私は首を切られると皆が言います。彼らの言うことが事実なら、フランスに着くまで苦しめることなく、今ここで切ってもらった方がましです!』と答えた。彼はいつもの親切さで、毎日やっているように常に私の耳を引っ張りながら『お前にそう言った連中は獣のように何も考えていない連中だ。何も恐れることはない。我々はすぐパリに到着する。そこには沢山の綺麗な女と金がある。エジプトにいるよりもずっと幸せになれるぞ!』と言った」
p74-75
 
 そして「あの悪党、帰国したらぶっ殺してやる」について。この時クレベールが言っている「あのチビ、クソのべったりついたパンツを俺におしつけやがった」だが、困ったことに史料がある。厳密に言うなら史料に書かれている文言は「戦友たちよ、この×××は俺たちに×××で一杯の尻を残していった。こうなりゃ欧州にこれを持ち帰ってヤツの顔に押しつけてやろう!」だ。こう書き残したのは総裁だったラルヴリエール=レポ。Mémoires de Larevellière-Lépeaux, Tome Deuxième"http://www.archive.org/details/mmoiresdelarev02lareuoft"のp348に書かれている。
 伏字になっている部分について様々な訳し方があるようだ。いや、後半部は大体どの翻訳でもshit即ちクソとなっているが、前半が微妙に違う。Paul FregosiのDreams of Empire"http://books.google.com/books?id=RuVnAAAAMAAJ"はお上品にHe「彼」(p168)としか翻訳していないが、それではラルヴリエール=レポがわざわざ伏字にした分を翻訳しきれていないと言わざるを得ないだろう。残念ながら不合格。
 漫画と同じなのがJames R. ArnoldのMarengo and Hohenlinden"http://books.google.com/books?id=IOhnAAAAMAAJ"。彼はそこでThat little fellow「あのチビ」(p10)という表現を使っている。ただ、こうした翻訳はそれほど多くない。むしろよく見かけるのはdumdum「愚か者」(Zarafa"http://books.google.com/books?id=Q_qtF6muvTAC" p29)やbugger「あの野郎」(Military Misdemeanors"http://books.google.com/books?id=8-Q1B0F3OiwC"のp56や、Paul Strathern "Napoleon in Egypt"のp409)、bastard「ろくでなし」"http://www.gdws.co.uk/alexandria.htm"といった一般的な罵り言葉の方だ。
 伏字になる前の文章が分かればより正確な翻訳ができるんだろうが、まあ詳細はともかく基本的に軍隊風の罵詈雑言であったことに変わりはないだろう。それより問題はラルヴリエール=レポの記録は一次史料とはいえないこと。総裁だった彼はフランスにずっととどまっており、エジプト遠征には同行していない。この部分は彼が後に誰かから聞いた話を載せたと考えるべきだが、それが単なる噂だったのか、それともクレベールが実際にそう発言した現場に居合わせた人間の証言だったのか、そのあたりがよく分からないのだ。史実かどうか断言するにはいささか微妙である。
 
 ラストシーンはジュノーへの手紙が妙に情緒たっぷりに描写されている。このソースとなったのは間違いなくアブランテス公爵夫人の回想録だろう。Mémoires de Madame la duchesse d'Abrantès, Tome Deuxième"http://books.google.com/books?id=RKwvAAAAMAAJ"には以下のような文章が紹介されている。
 
「司令官、学士院会員のボナパルトからジュノー准将へ。
 親愛なるジュノー、私はエジプトを発つ。君は乗船地点からあまりに遠くにいるため、私は君を連れて行くことができない。しかし私はクレベールに、10月中に君を出立させるよう命令を残しておいた。最後に、私はどこにいても、どのような立場であっても、君に捧げる愛情のこもった友情の証拠を示すであろうことを信じてほしい。
 君に挨拶と友情を、
 ボナパルト」
p9
 
 Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième"http://books.google.com/books?id=iFQUAAAAQAAJ"のp577にも同じ文章が載っているが、これはそもそもアブランテス公爵夫人の回想録から引用したものなので同じであっても不思議はない。問題は、そもそも信頼度が低いとされているアブランテス公爵夫人の回想録をそのまま信用できるかどうかだ。
 文章の細部については確かめるすべはなさそう(フランスまで出かけて公文書館あたりの史料をひっくり返さない限り)。ただ、これと辻褄の合うボナパルトの手紙は実在する。果実月5日(8月22日)付でボナパルトがアレクサンドリアの司令部からクレベール宛に出した命令に「10月中にジュノーと、カイロに残してきた荷物及び私の召使たちを出立させてほしい」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième, p573)と書かれているのだ。この時点において、ボナパルトが(本心かどうかはともかく)ジュノーに友情を示していた可能性は高そうだ。
 
 以上、今回は割と史料に基づく記述の多い回だったことが分かる。もちろん元になっている史料の信頼度は様々であり、史実かどうかという点で見るなら疑わしいものも多々あるが、それにしてもここまで史料に由来する話を漫画の中にぶち込んでいるものは珍しいだろう。個人的には史料を無視して暴走した時も面白いと思っているが、今回の「出エジプト」編は史実のナポレオンのえぐさがモロに出ている話なので敢えて史料通りの話を沢山入れたのかもしれない。それにしても主人公らしさより悪人度の方がどんどん増しているようだが、そんなキャラ設定で大丈夫か。
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