承前。ナポレオン漫画最新号。
次に、ある意味今回最も作者が描きたかったのではないかと思われる「仕方ないなぁ、やっぱり俺が帰らなけりゃダメかぁ?」を。スミスから渡された新聞を読んでという話は色々なところで書かれているが、その際の反応について例えばブーリエンヌは「やはり私の予感は当たった。イタリアは失われた!!! あの見下げ果てた連中が! 我々の勝利の果実は全て消え去った! 私は出発しなければならない」(Mémoires de M. de Bourrienne, Tome Second."
http://books.google.com/books?id=nJAFAAAAQAAJ" p305)と記している。
これがウジェーヌの手にかかるとまた少し表現が変わる。「読み進められるたびに、ボナパルト将軍の叫びに遮られた。『見下げ果てた連中が! どうしてこうなった! 哀れなフランスよ! 一体彼らは何をやらかしたんだ?』他にもより激しい言葉が発せられた」(Mémoires et correspondance politique et militaire du prince Eugène, Tome Premier"
http://books.google.com/books?id=lAQKAAAAIAAJ" p71)。ただ、どちらにせよこの時のボナパルトの反応がかなり激烈であった点は一致している。
漫画では「想定通り」と言わんばかりの反応を見せていたボナパルトだが、少なくとも史実ではもう少し激高していたようだ。もちろんその激高は実は単なる芝居だった可能性はある。軍を見捨てて逃げ出すためには言い訳が立つような演技が必要だと彼が考えていたとしても、別に不思議はない。もちろん他人である我々に彼の心の奥底など分かる訳もないが、フィクションとして描き出す場合にはこうした解釈を交えるのもアリだろう。
アブキールの戦いで負傷したミュラとランヌが病室で漫才をやっているシーンがある。ミュラの負傷については前にも記した"
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/51104749.html"通り、ムスタファ=パシャを捕らえた際に彼に撃たれたのが原因だと言われている。ちなみにムスタファ=パシャがミュラを負傷させたという話は会戦直後から伝わっていたようで、シドニー・スミスもネルソンへの報告の中で「ムスタファ・セラスキールは自らを守って雄々しく戦い、ミュラ将軍を負傷させた後で、自らも怪我して捕虜となった」(The life and correspondence of Admiral Sir William Sidney Smith, Vol. I."
http://books.google.com/books?id=WozFAAAAMAAJ" p364)と記している。
ではランヌの負傷は? 7月28日付の総裁政府への報告書でボナパルトが上げた負傷者の名前にはミュラ、フュジエール、モランジェの名がある(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième."
http://books.google.com/books?id=iFQUAAAAQAAJ" p542)が、そこにランヌの名はない。一方、ラレイ軍医の回想録には「ランヌ将軍はアブキールの戦いで銃撃を受け、弾丸は彼の脚部の下半分、2つの骨の間を貫通した。最初の5日間、彼はテントの中で治療を受け、その後でアレクサンドリアへ移送された」(Mémoires de chirurgie militaire et campagne, Tome I"
http://books.google.com/books?id=Sgp2FxvBQyMC" p252)とある。
双方は矛盾しているようだが、ラレイが「回想録」であるのに対しボナパルトの方は会戦直後に書かれた「報告」である点を踏まえるなら、おそらくボナパルトの方が正解だろう。実際、ボナパルトは会戦3日後に記したムヌー将軍への命令の中で「負傷したランヌ将軍の師団を指揮するように」(Correspondance de Napoléon Ier, Tome Cinquième. p543)と命じており、8月4日付の総裁政府への報告でも会戦3日後に相当する「熱月10日(中略)[敵のいるところへ]駆けつけたランヌ将軍が脚に負傷した」(p549)とはっきり書いている。
つまりミュラとランヌが同時に負傷したように描いている漫画はこれまたマジックだということだ。Margaret Scott Chrisawnは、ランヌが「隣のベッドに寝ているミュラに悪態をついた。顎をまだきっちりと包帯で巻かれていた騎兵司令官は反論することができなかった」(The Emperor's Friend"
http://books.google.com/books?id=TXIfwTspSCYC" p58)と記しているが、脚注にあげているラレイの回想録にはそうした話が見当たらない。
それから「この世は試練だらけだ」。漫画ではエジプトを出立(というか脱走)することをベシエールから告げられているが、ウジェーヌ自身の回想録を見るとそうはなっていない。ボナパルトによる出エジプト計画はウジェーヌに対しても秘密にされていたようで、ウジェーヌは「全く何の疑いも持っていなかった」(Mémoires et correspondance politique et militaire du prince Eugène, Tome Premier. p71)。カイロを出発した時点でも理由は話されないままで、ウジェーヌは移動の目的を不審に思うだけだった。
彼がようやく真相を告げられたのは、ボナパルトの命令で海岸を偵察し、その報告をした時だ。「私が戻ってきた時、将軍は心配そうに質問した。だが私が、実際に見た通り、フランスのものらしい2隻のフリゲート艦について知らせたところ、彼の顔にはすぐ満足の色が浮かんだ。これらのフリゲート艦は実は我々をフランスへ運ぶものであり、彼は計画の成功を見て取って幸福になっていたのだ。彼は続いて私にこう言った。『ウジェーヌ、母親にまた会えるぞ』」(p72)
出発を直接ボナパルトから告げられたウジェーヌが、先行きの試練を心配したのは事実らしい。と言っても漫画のような理由ではなく「我々の出発にかかる不可解さ、勇敢な戦友を置き去りにする悲しみ、英国に捕らわれる恐れ、そして再びフランスを見るという希望を僅かにしか保つことができない状況が、これらの[困惑と悲しみという]心の動きをもたらした理由だ」(p72-73)ということらしい。母親の運命を気にするより前に自分の運命の方がどう転ぶか分からない、と思っていたのだろう。確かに残される方も大変だが、たった2隻のフリゲート艦で英国海軍の警戒を振り切って逃げる側も不安はいっぱいだっただろう。
続きは次回に。
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