イタリア1792-95 その5

 III.
 9月、オーストリアの1個師団がボルミダ河畔に集結し、デゴに倉庫を設置した。英国の1個師団がヴァドに上陸し、合流した両軍はサヴォナを占拠し、海と陸のあらゆる連絡路を奪われたジェノヴァ共和国にフランスへ宣戦布告することを強いた。ヴァドへの道はオネリア街道と続いており、ジェノヴァとマルセイユの交易を遮断している英国の巡洋艦と私掠船の拠点だった。砲兵司令官はサン=ジャック、モンテノッテ、及びヴァドを占領し、そうすることで軍の右翼をジェノヴァの門に置くことを提案した。デュモルビオン将軍は自ら3個師団、1万8000人と山岳砲兵輸送隊20門の先頭に立って出発した。ナポレオンは軍を導き、軍はコル=デ=バルディネットから出てボルミダ川に沿った道を経てモンフェラートまで浸透した。10月4日にはビエストロの高地に宿営し、5日には平野部に下った。オーストリア軍の背後に襲い掛かることを期待していたが、彼らはその意図を見抜き、カイロからデゴへの退却を実行した。セルヴォニ将軍は彼が指揮する前衛部隊の先頭に立って敵を激しく追撃した。砲撃は5日午後いっぱい続き、夜10時までやむことはなかった。オーストリアは1000人を失い、倉庫と捕虜を捨ててアクイへ後退した。
 デュモルビオン将軍はイタリアへ入る命令を受けていなかったしその意思もなかった。彼の騎兵は食料欠乏を理由にローヌ河にいた。敵を追撃する際に彼は失敗をしでかし、オーストリアとサルディニア全軍を自らに引きつけてしまった。そこで彼はこの偵察に満足し、モンテノッテとサヴォナに後退し、ヴァドの高地に陣を敷いてサヴォナ峡谷に拠点を維持した。砲兵はこれらの街道からフランス艦隊を守ることができるようなやり方で、海岸部を武装した。工兵はヴァドの高地に強力な堡塁を建設した。そこはサン=ジャック、メローニョ、セッテパニ、バルディネット、及びサン=ベルナルドを経てタナロの高地に置いた宿営地と連絡していた。こうした軍の右翼の延伸はその陣地を弱体化させたが、多くの利点も生み出した。第1に、リヴィエラ=ディ=ポネンテ全体と海岸全ての支配を軍に与え、オーストリア=サルディニア軍が英国艦隊と連絡を取り連携して行動するのを妨げた。第2にジェノヴァからマルセイユへの通行を確保した。なぜなら軍が海岸沿いのあらゆる港を支配することで沿岸交易船を守る砲兵陣地を建設することができたからだ。第3に、この陣にいることで軍はジェノヴァ内のフランス支持者を支援し、そして敵がおそらく意図していたようにこの町の城壁を越えようとした時にはそれを予期できる機会を得た。敵の計画を挫いてジェノヴァの中立を確保するこの作戦は、すぐイタリア全体に知れ渡り、大いに警戒を呼び起こした。かくして軍の前哨線はジェノヴァから10リュー以内に存在し、偵察隊や伝令は時にそこから3リュー以内に接近した。
 ナポレオンは秋の残りを、ジェノヴァからニースへの通行を守るためヴァドからヴァールへ至る突出部を優れた沿岸砲兵によって要塞化するのに費やした。1月、彼はある夜にコル=ディ=テンデを通過し、そこから日の出と伴に既に彼の企ての対象となっている素晴らしい平野を見渡した。イタリア! イタリア!(Italiam! Italiam!)
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