「本能寺」本

「信長は謀略で殺されたのか」鈴木眞哉・藤本正行

 どうも鈴木氏の本は安いのでつい買ってしまう。それに今回はいつもの「軍忠状」ではなく本能寺に話を絞ったもののようなので、どこかで読んだぞ感が少なくて済むだろうと思ったのも事実。書かれているのは要するに「本能寺は誰かの謀略ではなく明智光秀の単独犯行」という話だ。
 正直、私はこの時代には詳しくない。以前、ピンポイントで鉄甲船について当時の日記など調べてみたことはあったが、大きな流れも含めて知っているのは一般向け書物に書かれている程度のこと。従って鈴木・藤本両者の主張がどこまで正しいかについても判断しかねる。
 ただ、謀略説というのは一般に流布しやすいことは事実だ。ナポレオンの死についても学者の多くは病死と見ているが、一般向け書物では毒殺説が繰り返し繰り返し出版されているし、最近では死体の入れ替わりがあったとの説もある(死んだ人間を入れ替えたところで一体何の意味があるのかは知らない)。思うに謀略とか陰謀というのは分かりやすいから好まれるのだろう。謀略話好きなのは別に日本人だけではない。
 もっとも、自分の周囲の現実を見れば陰謀や謀略が思ったように進むことなどほとんどあり得ないことはすぐ分かる。世の中には大勢の人間がいて、それぞれが自分なりの考えをもって行動している。一部の人間の陰謀や謀略がそのまま現実になるほど事態は簡単に進まないのが普通だ。という訳で具体的な史料に当たっていない状態で「謀略説」と「光秀単独犯説」のどちらを選ぶかと言われれば、私なら単独犯説を選択する。
 もう一つ。鈴木・藤本両氏による批判の対象となっているのは大半が学者ではなく小説家や「歴史研究家」による著作。そもそも嘘八百を書くのが仕事である小説家や、どこまで学問的な教育を受けたのか怪しい自称研究家の本など最初から信用する方がおかしいのだが、それでもあえて声を上げたのはそうした連中の本が大衆に及ぼす影響力が無視できないからだとしている。確かにあとがきで紹介されている「信長の棺」は最近話題になっているし、読んだ人間の中にはそこに書かれたことが史実だと思うおっちょこちょいもいるかもしれない。
 だが、忘れてはならないのは、なぜそうした本の売れ行きがいいのか、という点である。彼らの本が売れるのは、読者が求めるものを提供しているからではなかろうか。学者の本は確かに正確かもしれないが、おそらくつまらない。だからいくら出版されても読者は読まない。一方、小説家などが出す謀略説は読んで「楽しい」と思う人が多いのだろう。だからこそ売れ、結果として影響力が増す。テレビの歴史番組もしかり。NHKが流している歴史番組も結局は視聴率稼ぎが目的であり、歴史的正確さより面白さの方を追求して作られている。歴史的に正確な番組を見たければ教育テレビを見ろ、ということだろう。
 つまり謀略説は成功したミームであり、光秀単独犯説はどちらかと言えば失敗したミームなのだ。ナポレオン関連で史実ではない「伝説」が何度も繰り返し語られるのと同様、本能寺についても裏付けを欠く話が何度でも出てくるだろう。求めよ、さらば与えられん、という訳だ。

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