祖国は危機にあり(La patrie en danger) 関連blog
1794年夏秋・イタリア 16
2022
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07
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30
ナポレオニック
ここまでセント=ヘレナのナポレオンによる記述を皮切りに、彼のかかわった戦役の中でも最も知られていないであろう1794年のイタリア方面軍(及びアルプス方面軍の南半分)の戦役について記してきた。マイナー過ぎて日本語で読める詳しい記述はほとんどないことは最初に指摘した通り。そもそもこの戦役自体に興味を持って分析している人自体、ナポレオン戦争研究の全盛期であった19世紀末~20世紀初頭を除けば、極めて珍しい存在...
食糧60年史
2022
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07
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29
ウクライナ戦争
ウクライナ戦争で足元少しいい話なのが、ウクライナからの穀物輸出でロシアとウクライナが合意したというニュース。ただその直後にロシアがオデーサ港を攻撃したため、せっかくの前向きな話に影が差した。それでも調整機関が動き出したとの報道もあり、少しずつとはいえ事態の改善につながる期待が(私の中で)強まっている。 ただし、足元の短期的なトラブルではなくもっと長期的視点で見ると、20世紀後半からの食糧の歴史はい...
1794年夏秋・イタリア 15
2022
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07
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28
ナポレオニック
9月21日、デゴに防衛線を敷いたオーストリアのコロレード師団に対し、フランス軍は攻撃を仕掛けた。KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796によると、フランシスコ修道会(カイロ北方)に集めた1600人を使ってラアルプが午後2時に攻撃したのは、30人の猟兵が守る左岸のブリック=ヴァデノだった(p202)。1個縦隊がブリック=ディ=レイザへと登り、猟兵を第2線のブリック=ボッタ...
1794年夏秋・イタリア 14
2022
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07
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26
ナポレオニック
KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796は、1794年のデゴの戦いに至る経緯を結構詳しく述べている。9月19日午前9時、右翼のフィナーレ縦隊の偵察隊が、ピノ峠(南西にある教会の名を取ってクラヴァレッツァとも呼ばれている)の哨戒線を排除した(p196)。守備兵の指揮を執っていたオーストリアの中佐は、サン=ジャコモ峠のみならずマラレ村も放棄し、モンテフレド(ボルミダ=ディ...
Murray契約延長
2022
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07
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25
NFL
NFLでは7月下旬からトレーニングキャンプが始まった。まだオフシーズンなのは間違いないが、8月に入ればプレシーズンゲームも始まるため、そろそろワクワク感が高まっている人もいるだろう。個人的にはプレシーズンが終わってからようやくエンジン始動という印象で見ているので現時点ではまだオフ真っ盛り、ではあるのだが、現地ではこんなニュースも出てくるくらいで、既にテンション上がっている人もいると思われる。 まだ...
1794年夏秋・イタリア 13
2022
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07
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24
ナポレオニック
アルプス方面軍による一連の牽制含みの攻撃に対し、ストゥラ方面のピエモンテ軍も逆襲した。KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796によると、100人の増援がデモンテ総督からクリスト将軍のところに送られ、ストゥラ上流を今にも放棄するのではないかと言われていたフランス軍の追撃にあたった(p186)。同じ目的でアヴォグラード大佐は110人の兵とともにキアルドレッタ峠(サンブコ東...
1794年夏秋・イタリア 12
2022
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07
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22
ナポレオニック
イタリア方面軍右翼のマセナ師団も、他のフランス軍同様に後退した。KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796によると、ペジオ峡谷、モンドヴィの砦、チェヴァの陣地を脅かすために維持しなければならない拠点は多すぎ、またニースに2個大隊が呼び戻され、かつ地中海沿岸で他の戦力も必要とされそうな状況下で、その対応を維持するのは無理があった(p177)。マッカール師団の攻勢を支...
ターチン インタビュー
2022
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07
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21
その他
Peter Turchinがリモートでインタビューを受けている動画を紹介していた。インタビュアーは教育に携わってきた人物で、本の出版も予定しているらしい。といっても別に著名人というわけではないし、Youtubeのチャンネルもそんなに閲覧されているわけではないが、Turchinとの会話が面白かったのでちょっと言及しておこう。 中でも興味深かったのが、インタビューの4本目。まず前半で、過去の政治体制は永年サイクルの中でやがて...
1794年夏秋・イタリア 11
2022
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07
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20
ナポレオニック
テルミドールのクーデターによって春から準備を重ねてきたアルプス方面軍とイタリア方面軍の連携作戦は実施されることなく終わった。KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796によると、この中止命令を受けて派遣議員のアルビットとサリセッティは急いでニースに向かい、まずは海岸の防衛と南部諸県、特にトゥーロンとマルセイユの秩序の維持に必要な手を打った(p169)。ただし彼らはす...
1794年夏秋・イタリア 10
2022
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07
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18
ナポレオニック
ロッカヴィオーネを奪われたコッリ将軍は、KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796によると、それでもボルゴ=サン=ダルマッツォでの抵抗を諦めはしなかった(p161)。エジレス攻囲の始まり、プロヴェラとクリストが知らせてきたヴァライタ、マイラ、ストゥラでの数多い小競り合い、ダルジャントーの報告にあるタナロとコルサーリャの宿営地に向けた重要な増援など、マッカール師団の...
チェリーピック
2022
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07
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17
その他
最近になってハラリ批判がいきなり浮上してきた。きっかけはこちらのツイートで紹介されていた海外記事。The Dangerous Populist Science of Yuval Noah Harariというこの記事では、ハラリについて「科学をセンセーショナリズムのために犠牲にしており、彼の本は間違いだらけである」と批判している。 彼の本に間違いが多いのはこちらやこちらで指摘済みであり、正直「何を今更」感はあるが、それでも具体的な間違いが示されて...
1794年夏秋・イタリア 9
2022
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07
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16
ナポレオニック
フランス軍の攻撃計画に対し、ピエモンテ軍はどのような配置になっていたのか。KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796によると、1万人から1万1000人の戦闘員が暫定的に配置されていた状態だった(p153)。右翼はティラキュロとサンタントニオ教会(場所は不明だがテット=グラーリャ付近か)の堡塁に拠り、マドンナ=デル=コレット峠の分遣隊を経てデモンテの要塞と連絡を取ってい...
SDTと国際紛争
2022
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07
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15
ウクライナ戦争
ウクライナでの戦争が続いている間に、他地域にも動揺が広がっている。直近で目立っているのはスリランカだろう。経済危機が続く中で大統領が国外に脱出する事態となり、混迷が深まっている。政権交代は不可避っぽいが、一方で政治家の動向に不満を抱くデモ隊が大統領公邸に続いて首相府になだれ込むなど、なかなかの騒動ぶり。治安部隊とも衝突しているようで、これも社会政治的不安定性を示す出来事と言えそうだ。 背景にある...
1794年夏秋・イタリア 8
2022
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07
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14
ナポレオニック
ピエモンテ軍による農民の総動員とそれによる攻撃は海岸部でも失敗した。KrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796によると、ロアーノ方面では7月3日夕方4時、ラフォン大佐が高地に配置した少数の中隊による最初の斉射で、ロブスティ自身が海沿いに率いてきた4000人から5000人の農民が混乱してピエトラ=リグレ方面に逃げ出した(p140)。彼は翌日、何とか人々を再び前進させたものの...
黒色火薬の犠牲者
2022
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07
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火薬・軍事革命
安倍元首相の暗殺犯が数多くの手製の銃を持っていたことがあちこちで話題になっている。特に容疑者の自宅で発見された銃については写真のインパクトもあってSNSなどでも注目を集めたようだ。 また、その銃の構造についても国内だけでなく海外メディアでも報じられているWashington Postの記事では、この手製の銃について、正確性も射程距離もないが日本における銃砲の所持規制を潜り抜けることができるものだったと分析。またこ...
1794年夏秋・イタリア 7
2022
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07
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12
ナポレオニック
1794年5月16日、ロンバルディアで冬営していたオーストリア軍がようやくカイロとケラスコへと向けて動き出した(Campagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796, p125)。まだ遠方ではあったが、この増援の存在と、共和国軍の動きが再び鈍ったことで、トリノ宮廷は自信を取り戻した。ただし6月初旬のこの段階で、それぞれ実働兵力4万人を数えるイタリア方面軍及びアルプス方面軍の配置はかなり恐ろしいも...
QBの選択
2022
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07
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NFL
NFLに限らず、最近は様々なスポーツでアナリティクスの発展が見られる。例えばサッカーだと、足元でxG(Expected Goals)という指標が関心を集めるようになっている。アメフトのEPAと似たような概念で、xGは「基本的にチャンスの質を評価する指標です。シュートを打った選手の技術的な能力やシュートの質は無視するのが普通です」という。 実際には何種類か計算方法があるようだ。と言っても結果は似たよなものになるそうなので...
1794年夏秋・イタリア6
2022
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07
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10
ナポレオニック
1794年5月におけるオーストリア=サルディニア軍の状況についての続き。今回はクネオ南方のボルゴ=サン=ダルマッツォ近辺からだ。ストゥラとジェッソの両河川はこの地からクネオまで、幅2.5キロ、長さ8キロの平野を形成しており、クネオの北方で合流している(Campagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796, p118)。残念ながらピエモンテ軍南方戦線の指揮を執っていたコッリには守備隊を除いて9000人...
春リーグ
2022
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09
NFL
NFLでは珍しいことにこのタイミングでQBのトレードがあった。BrownsのMayfieldがPanthersにトレードされ、代わりに後者は2024年の条件付き5巡(場合によっては4巡)をもらう。しかもBrownsはMayfieldのサラリーのうち10ミリオンを支払い、Mayfield自身は3.5ミリオンのカット(というかインセンティブへの変更)に応じたそうなので、Panthersの被るキャップヒットは5ミリオンほど。なるほど彼らにとってはいいトレードに見える...
暴力の時代
2022
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08
その他
実によくない事件が起きた。どんな理由があるにせよ、政治に暴力を持ち込むことは最終的に民主主義の破壊につながりかねない、というエントリーをアップしてから間もない時期に、しかも選挙の直前に、このような事態が起きるのはまことに残念である。まずは命が助かることを祈りたい。 今や「銃乱射の時代」とまで言われている米国、対外戦争という形で国内の不満を逸らそうとしているロシア、Brexitの立役者を簡単に放逐した英...
1794年夏秋・イタリア 5
2022
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07
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08
ナポレオニック
1794年のブオナパルテの作戦計画を紹介したので、これからは実際に戦争がどのような経緯をたどったのかを見てみよう。いつものようにKrebsとMorisのCampagnes dans les Alpes pendant la révolution, 1794, 1795, 1796を活用する。同書の第1章では以前にも書いたようにイタリア方面軍の春季戦役を紹介しており、続く第2章(p78)はアルプス方面軍による小サン=ベルナール峠とモン=スニ峠の占拠を中心に触れている。 ただし...
民主主義と権威主義
2022
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07
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07
ウクライナ戦争
ある意味、ロシアと比較できそうな米国の話があったので紹介しよう。 KorotayevらがFactors of Deconsolidation of the Liberal Democracy Regime. The Case of the United States of Americaという文章をCliodynamicsに投稿していた。Korotayevと言えば最近ではこちらで紹介したプレプリント(後に査読雑誌PLOS ONEにThe 2010 structural-demographic forecast for the 2010-2020 decade: A retrospective assessmentという題...
1794年夏秋・イタリア 4
2022
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07
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06
ナポレオニック
ブオナパルテが1794年6月に記した2度目の作戦計画の続き。アルプス方面軍に対する細かい指示の後に、彼はより大所高所からの考え方を示している。2個師団はストゥラ峡谷と、グラナ、マイラ、ヴァライタの源流域を奪い、デモンテとカステルデルフィノに到達するのが目的である。彼らは相互にカバーしあうが常にストゥラの第1縦隊が最も前に出て、そこから順に左斜め後ろに各縦隊が展開する。 もしストゥラ師団の前に障害が現...
1794年夏秋・イタリア 3
2022
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07
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04
ナポレオニック
1794年5月にブオナパルテが立案した計画の続き。前回はアルプス方面軍に対する指示を見たが、彼はこの攻撃を少しでも楽にするための策も講じていた。Correspondance de Napoléon Ier, Tome Premierでは「敵の隙を突く動き」として、アルプス方面軍が動き出す前にイタリア方面軍のジェッソ師団を行動させ、それをもってピエモンテ軍に対する陽動にしようと考えていた(p37)。 イタリア方面軍は3万人と騎兵全部をこの作戦に投...
1794年夏秋・イタリア 2
2022
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07
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02
ナポレオニック
1794年5月と6月にブオナパルテが立案した作戦とはどのようなものだったのだろうか。実際に書簡集に載っている作戦計画を読むと、どちらも大きな目的としていたのがストゥラ=ディ=デモンテ峡谷の占拠と、クネオ南西にあるデモンテの包囲にあったことが分かる。5月初頭までに既にイタリア方面軍はテンダ峠を占拠し、そこからヴェルメナーニャ峡谷を経てクネオへと下る道を進むことが可能になっていた。同じようにアルプス方面...
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「終わりと始まり ―火薬革命の900年―」
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