陰謀論者たち

 これはさすがにアウトじゃないのか。
 Turchinがウクライナ戦争について書いている3つめのエントリー、War in Ukraine III: an Interim Assessmentの中で、彼は(前回も紹介した)米国による両軍の損害推計を紹介している。ただしその前に彼は「公的ソースは信用できない」と述べ、ウクライナ及びロシア双方の発言の食い違いっぷりを紹介し、さらに米国内でもロシアよりウクライナの損害が多いと主張している「少数の元軍人や元情報機関関係者」がいることを紹介。米国によるウクライナの死者推計が2万人に対して、そうした見解を持っている人物による20万~25万人という説に触れるなど、米国の推計がいかにも当てにならないかのように文章を進めている。
 そのうえで、直接の情報以外を使って数字を推計する標識再捕獲法という生態学で使用される手法があると紹介。「熱心な反プーチン・メディア」「匿名の親ロシア・リソース」「Noah Carlのブログ」の3つを捕獲データとして調べると、実は上に述べた元軍人ら「異端の退職者たち」の推測の方が公式な数字よりも筋が通っているように見えると説明している。ランチェスター法則(OLモデル)から計算される予想、つまり数の多いロシアの方が相手に多くの損害を負わせているという推測の方が実は「適切である」、というのがTurchinの結論だ。
 一見もっともらしい主張に見えなくもないが、本当にそうだろうか。例えばTurchinが「異端の退職者たち」と呼んでいる面々だが、ちょっとネットを調べるだけでその評判がどんなものであるかが浮かび上がってくる。
 例えばDouglas Macgregor。彼は確かに退役した元米陸軍大佐であるのだが、同時に「バイデン政権は白人を少数派とするために非白人の移民を呼び寄せている」という陰謀論を振りまいている人物でもあり、ロシアのウクライナ侵攻直後になぜかバイデン政権を非難し、ロシアがウクライナの東半分を支配するのを米国は認めるべきだと主張もしている。彼の名は日本でも知られているのだが、その理由は開戦初頭から「予想を外しまくった」人物だから。Turchinが紹介しているウクライナの死者数はこのMacgregorのものらしいが、最近ではその数は35万人にまで膨らんでいる
 次に名前が出てくるのが元CIAのRay McGovernなのだが、こちらはさらにすごくて、ウクライナ戦争のずっと前の2016年当時から「ディープステート」について言及していた人物だ。2000年代から反政府活動に従事していた彼は、これまでに複数回逮捕されているし、足元ではウクライナ政府から明白にロシアのプロパガンダに同調している人物(日本だと鈴木宗男あたりか)と名指しされている。
 そしてもう1人のLarry C. Johnsonも元CIAだが、こちらはオバマ夫人が白人に対する人種差別的発言をしたとのデマを流した人物として知られている。そしてこちらも、トランプ政権の時代からロシアのメディアに何度も登場してはアメリカの情報機関を批判しており、要するにこれまたロシアのプロパガンダ代弁者であることが疑われる人物である。
 まずこの3人の素性を確認した時点で、Turchinの話の進め方について疑いを抱くべきだろう。彼が最初に示した「ロシアとウクライナ双方の主張は容易に信用できない」との指摘はその通りだ。何しろ彼らはどちらも戦争当事者であり、味方の損害を過少に、敵の損害を過大に吹聴することに多大な利益を持っている。でもその次に米国の公式発表や米主流メディアをまとめて批判するため、それと並び立つ存在であるかのように陰謀論者の名前を並べているあたりは大変によろしくない。そもそも米国は武器を提供しているとはいえ戦争に参加しているわけではないし、米国内の主流メディアについてはさらに中立的立場に近い。そうした組織を一方に置き、単に個人で活動している(中には逮捕歴のある)陰謀論者を他方に並べるのは、明らかにバランスを欠いている。こういう議論の展開を見れば、何か「ためにする」結論を導き出そうとしていると疑うのが普通だ。
 続いてTurchinがもっともらしく示している標識再捕獲法なのだが、これも中身を見ると首をかしげたくなる部分がある。まず最初に「熱心な反プーチン・メディア」のデータとしているものについてだが、確かにMeduzaMediazonaはロシアの反体制メディアだが、彼らの分析にはBBCも加わっている。第三国の、それも世間的に一定の評価を得ているメディアが加わっているデータを雑に「反プーチン」でまとめるのは、これまた違和感しか覚えない書き方だ。
 それに対応するかのように並べている「匿名の親ロシア・リソース」なんだが、こちらはマジで匿名のソースである。WarTearsというドメイン名で活動しているのだが、正直どんな組織なのかさっぱりわからない。彼ら自身の言い分ではなく第三者がどう紹介しているかを見たくても、例えばニュースサイトなどでは全く取り上げられている様子がない。このドメインについて触れている大半のサイトはロシア語(たまに中国語)で、そもそも組織として活動しているかどうかすら不明だ。普通こういうソースを取り上げるのは躊躇するもんじゃないのか。
 Turchinが紹介しているソースの中で、一見まともそうに見えるのはNoah Carlのブログ。こちらはキーウ国際社会学研究所(KIIS)によるウクライナ国内の調査から親族または友人に戦争の死者がいる割合を取り出し、Covid-19の時の世論調査と並べてそこからウクライナの戦死者数を推計している。間接的な計算法ではあるが一定の説得力があるように見えるし、その手法が持つ懸念点にも触れているあたり中立的な研究に見える。なるほどこちらは標識再捕獲法に使えるデータと見なしたくなりそうだ。
 だがここでも実は注意が必要。KIISのサイトには英語ページがあるのに、Carlがリンクを張っているページはなぜかウクライナ語だ。Carlは単に英語ページに気づいていなかっただけかもしれないが、ウクライナ語ページにリンクを張ることで、ウクライナ語が読めない大半の読者から1つの重要な情報を事実上隠すことになった。戦争の死者ではなく、負傷者について尋ねた質問の回答を。
 英語ページを見るとわかるのだが、1人以上の親族または友人が戦争で負傷したウクライナ人の割合は64%。この数字は戦死者の割合(63%)とほぼ同じ。それぞれの中央値は5人と3人となっており、つまりウクライナでは戦死者と負傷者の比率がおよそ3:5だとみなせそうな結果だ。だがこれかなり異様な数字。普通、戦争では戦死者の3倍の負傷者が出ると言われている。このアンケートだけから推測するなら今回の戦争でウクライナは戦死者の割合が負傷者に比べて通常より妙に高いことになるわけだが、果たしてこのデータは信用できるのだろうか。
 またこのデータを、YouGovが調べたCovid-19関連のアンケートデータと比べるのが適切かどうかも怪しくなる。Covid-19のデータでは家族や近しい友人に感染者、重症者、病死者がいる割合がそれぞれ載っているが、基本的に後者になるほど数字が小さくなる傾向がはっきりある。Covid-19の性格を考えるなら当然の結果ではあるんだが、KIISの調査で身近に負傷者と戦死者のいる割合がほぼ同数なのと比べるとこの違いはかなり大きい。つまり、2つの調査から得られたデータは実はかなり質の違うものではないかと考えられるわけだ。
 結論。このブログでCarlはリンゴとミカンを比べてウクライナの戦死者数を推計している恐れがある。だから本来ならCarlはCovid-19と比較した推計法に問題がないかどうか、そもそもこのKIISのデータはどのくらい当てになるのかをまず検討すべきだった。ところがCarlはそこをすっ飛ばし、出てきた数字がどのくらい妥当であるかの検討にすぐ入ってしまっている。一見誠実に中立的な計算をしているように見せかけているが、そもそも大きな疑問点を無視しているわけで、果たしてこの推計をどこまで信じていいのかわからない。
 たとえCarlの計算を認めるとしても、この方法は極めて間接的で不確定要素の多い手法だ。正直、それよりずっと信頼できるデータがあるのなら、そちらを使った方がいい。そして今回の戦争において現状、米国当局の発言ほど信頼できるものはないと私は思っている。そもそもロシア自身が侵攻の有無を明らかにしていなかった段階からロシアの侵攻が近いと大っぴらに語っていたのは他ならぬ米国。であれば彼らはおそらく実情をかなり正確に把握していると考えていいだろう。
 そもそもきちんと組織として動いている米国政府(あるいは主流メディア)の発言を否定的に紹介し、逆に個人で活動している陰謀論者たちや正体不明のサイト、そして研究者であるとはいえ1人のブロガーによる怪しげなデータに基づく間接的な推計の方がより実態に近いと言い始める時点で、そう判断した人物(Turchin)はかなり変な先入観に囚われているのではと疑いたくなる。多くの場合、関係者が多い組織ほど情報を集める能力は高くなり、一方で嘘を垂れ流すのは難しくなる(不可能ではないが)。逆に個人に集められる情報量には限度があり、でも嘘をつくのは簡単だ。そうしたデータの信用度の差を無視してランチェスター法則の予測値の方が妥当だという結論に持ち込むのは、いくら何でも蛮勇が過ぎるだろう。
 また我々日本人ならよく知っている話だが、当局の嘘は事態がヤバくなった時にこそ増える。かの大本営発表ですら初期はおおむね正確に戦果を発表していたわけで、つまり勝っているときには嘘をつくインセンティブに乏しく、逆に負けている側ほど嘘をつく確率が高い。初期の大掛かりな侵攻の後はじわじわ退却を続けているロシアの方が、敵をゆっくりながら押し戻しているウクライナ、及び彼らを応援している米国などに比べて嘘をつく動機が強いことくらいは、容易に想像がつく。
 もちろん在野に洞察力のある人物が存在する場合も時にはある。だがそれはめったにないレアケースだ。有能な人物は既存の社会においてエリートのルートに乗る可能性が高く、逆にそこから零れ落ちていった面々は能力面で劣っていた人物である確率が高い。おまけにそうした人物がしばしば対抗エリートになり、既存のシステムを破壊する側につくことは他ならぬTurchin自身が指摘している。彼が紹介している「異端の退職者たち」も、その実態は能力面で劣るためにエリート内競争に敗れ、対抗エリートと化した陰謀論者たち、と見た方がいいんじゃなかろうか。
 というかそういう人物を嬉々として取り上げているTurchin自身、実はもう対抗エリートの1人なのかもしれない。何しろ彼の唱えるCliodynamicsは歴史学の中では決して主流ではないし、かつて理論生物学から歴史学に転じたという彼のキャリアもエリートにしては変則的だ。Turchin自身はもう生物学でやることはなくなった的なことを言っていたが、本当は理論生物学でこれ以上の業績を上げることはできないと思い、歴史という別のmusical chairに鞍替えしようとしたのかもしれない、と邪推したくなるレベル。
 いずれにせよ陰謀論者の言い分をさも真っ当なもののように取り上げるのはアウトと言わざるを得ない。マルチレベル選択を支持するくらいならまだ許容範囲だが、陰謀論は政治と結びつくと極めて危険になる。知は力なりだが、陰謀論は知を否定し、それを信じる人間から力を奪う。他者から収奪するのが陰謀論だ。陰謀論者を応援するのは彼らの危険を助長するのと同じだし、自らの評判をどぶに捨てることにもつながる。まあTurchinがそういう思考になってしまっている理由が、生まれ故郷のロシアが絡むと冷静な考察ができなくなるためだとしたら、同情の余地はある。だが不満を抱えた対抗エリートとして、ミアシャイマーやチョムスキーやトッドのように逆張りに走ること自体が目的と化しているのだとしたら、これはヤバい。そうでないことを祈りたい。

 なお上記で紹介したNoah Carlは、毀誉褒貶の激しすぎる人物でもある。レイシスト的な偽科学論文を書いたと批判を浴びてケンブリッジからキャンセルされた過去があり、過激派ともつながりがあると言われている。こちらのサイトではかなりけちょんけちょんにけなされている。正直、批判派の言い分がどこまで正しいかわからないので彼自身に対する評価はここでは控えておくが、専門が「社会学」というあたりは日本人的にはマイナス要因かもしれない。
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コメント

陰謀論?

ムラサメ
ウクライナに勝ち目がないと言うのが陰謀論?
これまでウクライナ推し一本だったアメリカ主要紙まで、手のひら返してウクライナやばいって論調ですよ?
国際政治学の権威ミアシャイマー・シカゴ大教授の論説でもいかがです?
https://mearsheimer.substack.com/p/the-darkness-ahead-where-the-ukraine

ここが陰謀論サイトですね

ムラサメ
アメリカの主要マスコミもウクライナ軍が苦しんでる事実を伝え始めたようです。

「西側援助国もウクライナ大反攻の厳しい現実に目覚め始め」
https://edition.cnn.com/2023/08/08/politics/ukraine-counteroffensive-us-briefings/index.html

「なぜアメリカの戦術がうまくいかないのか」
https://www.newsweek.com/ukraine-russia-counteroffensive-nato-military-doctrine-us-military-1817773

ここで馬鹿にされた人々じゃなく、ブログ主の方が陰謀論だった?

ついに『Time』まで陰謀論に

ムラサメ
ついにTimeまで陰謀論に行ってしまった?タイムもアウト?
https://time.com/6329188/ukraine-volodymyr-zelensky-interview/
New York Timesなんかも、最近の論調はウクライナもうダメになったような。

日本のメディアは勿論、これまでプロパガンダまみれだった米国メディアも現実に直面するしかなくなったと言う事じゃないのかなぁ。要するにターチンのソースの方が的を射ていて、ブログ主様のほうが「アウト」だって事ですね。
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